東大生から見た「地頭がいい人」の典型的な特徴

東大生眼中“頭腦好”的典型特征


世の中には「ステレオタイプ思考」というものがあり、そのため人はつい、表面的な固定観念によって物事を決めつけてしまいがちである。例えば「東大生」と聞いただけで「頭のいい人」を思い浮かべてしまう方は、決して少なくないはずだ。

世上有“刻板印象”這種東西,因此人們往往會根據表面的固定觀念來決定事物。例如,僅僅聽到“東大生”(東京大學學生)就會聯想到“聰明人”的人應該不在少數。

ところが『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』(東洋経済新報社)の著者、西岡壱誠氏は、現役の東大生という立場からそういった捉え方を否定する。それどころか、もともと「頭のいい人」ではなかったというのだ。

然而,《“思考技術”與“頭腦力”同時掌握的東大思考》這一書的作者西岡一誠從現役東大學生的立場上否定了這種觀點。不僅如此,他自己原本就不是“聰明人”。

高校3年生時の模試の偏差値は35。英語の成績は100點満點中3點。勉強していないからその成績だったのかというとそうではなく、毎日何時間も勉強機に向かっていました。勉強はしているのに一向に成績が上がらない、典型的なバカでした。(「はじめに」より)
「バカ」という言葉を簡単に使うのはどうかと思うが、それはともかく、東大生の代名詞でもある「頭のいい人」でなかったことだけは間違いないようだ。

他高三時的模擬考試偏差值(可以理解成平均成績)是35。英語成績100分滿分中只有3分。要說是不是因為沒學習所以成績才這樣的,但我每天都要面對書桌好幾個小時。明明在學習,成績卻絲毫沒有提高,是個典型的笨蛋。
先不說用“笨蛋”這個詞怎么樣,反正至少肯定不是東大生的代名詞“聰明人”。

では、2浪したとはいえ、なぜ東大に合格することができたのか? それは、頭のいい人のやり方、思考法をパクリまくったからなのだという。そのとき感じたのは、「頭のいい人は『思考回路』が違うんだな」という思い。思考の違いが「頭のよさ」をつくっているというわけだが、それは誰にでもまねでき、身につけられるものだというのだ。

那么,雖說是復讀了2年,為什么能考上東大呢?據說那是因為他一個勁地抄襲聰明人的做法和思考方法。那時感覺到的是“頭腦好的人‘思考回路’不同”。思考的不同是創造了“聰明”,這是誰都可以模仿、掌握的東西。

■思考回路ならまねできる

■思考回路的話可以模仿



どれも実用性が高そうだが、ここでは「上流志向で『難しいことを超わかりやすく要約』できる」の中から「要約力」に注目したい。それは、ビジネスパーソンに求められるべき重要なポイントであり、頭のよさを測る重要な指標でもあるというのだ。

無論哪個實用性都很高,在這里,從“以上流為目標,‘能把困難的事情簡單易懂地概括出來’”中可以看出“概括力”很重要。這是商務人士所追求的,也是測量頭腦聰明度的重要指標。

西岡氏は、要約力が頭のよさを図る指標である理由について、要約が「情報の取捨選択」をする行為だからだと記している。

西岡先生認為,概括力是衡量頭腦聰明的指標的理由是因為這是進行“信息取舍選擇”的行為。



要は、無意識のうちに重要なところにマーカーを引く能力が高いのです。(70ページより)
端的に言えば、覚えるべき「ひとつ」を探す能力こそが「要約力」だということだ。その証拠に東大生の多くは速読の使い手で、どんな文章でもさっと読むことができるという。

總之,無意識中在重要的地方畫記號的能力很強。
簡而言之,尋找應該記住的“一點”的能力才是“概括力”。證據之一就是東大學生大多是速讀手,什么文章都能快速閱讀。

つまり彼らの多くは、「キーワード」を探して本を読んでいるという場合が多いのだ?!袱长欷?、このキーワードについて書かれた文章だな」「なら、このキーワードの周辺を読んでいけば、自ずと要點が見えてくるだろう」というように、その文章の中から重要なキーワードを探し、その部分を重點的に読み、それ以外の部分を切り捨てているわけである。

也就是說,他們大多是通過尋找“關鍵詞”來看書的?!斑@是關于這個關鍵詞寫的文章啊”“那么,如果讀了這個關鍵詞附近的段落,自然就能看到要點了吧”,像這樣,從文章中尋找重要的關鍵詞,重點閱讀那個部分,然后把其他的部分切掉。

余談だが、私もまさにこの方法で多くの本を読んでいるので、十分に納得できる話だと感じた(そういう意味でも、決して選ばれた人にしかできないようなことではないのだ)。
ビジネス書には、要點にマーカーが引いてあるものが少なくない。マーカーが引いてある部分の周辺だけを読めば、おおよその內容をつかめるようになっているのである。同じことで、つまり頭のいい人は、マーカーを自分で勝手に引く「目」を持っているということだ。

說點題外話,我也正是用這個方法讀了很多書,覺得這是一個十分令人信服的事(從這個意義上來說,也不是只有被選中的人才能做到的事情)。
在商務書中,有很多要點上標記著記號。如果只看標記所畫部分的周邊,就可以大致掌握內容。同樣的,也就是說頭腦聰明的人,有著自己隨意畫記號的“眼睛”。

■みんなが見えていないポイントを見る

觀察看大家看不見的地方

だとすれば、その「目」がなければ、いつまで経っても要約力は身につかないのだろうか? 答えはノーだ。なぜならその「目」は、「日常の解像度」を上げることで養えるものだからだ。
どうすればキーワードを見つける「目」を養えるのかと言えば、答えは単純明快。見るポイントを変えればいいのです。ものの見方1つで、いとも簡単に要約できるようになります。
これは比喩でもなんでもありません。本當に東大生は、みんなが見ないようなところを見て要約力を高めているのです。(72ページより)

如果這么說的話,要是沒有那個“眼睛”,那么無論過多久都無法掌握概括能力嗎?答案是NO。為什么這么說呢,因為“眼睛”是通過提高“日常分辨率”來培養的。
要說怎樣才能培養找出關鍵詞的“眼睛”,答案很簡單。改變看的重點就可以了。僅憑一種觀點就能簡單地概括。這不是什么比喻。東大生真的就是在看大家看不到的地方,通過這樣提高概括力。

歴史の教科書を例に考えてみよう。言うまでもなく受験生の多くは、本文を読んでテストに出そうなところにアタリをつけ、そこにマーカーを引いて勉強してるはずだ。だが、東大生の場合は違うのだというのである。
歴史の教科書には各章の冒頭に、「その時代の背景」がまとめられている。例えば、「古代ローマとは、こういう時代です」「江戸時代には、こんな背景があります」というように。それらは、試験に出るような事項ではない。しかし、東大生はそこを熟読するというのだ。

以歷史教科書為例來考慮吧。不用說,大多數考生都會在閱讀正文、準備考試的地方加上相應的標記來學習。但是,東大生的情況卻不同。
歷史教科書中每章的開頭都總結了“那個時代的背景”。例如,“古羅馬是這樣的時代”“江戶時代有這樣的背景”。那些不是考試的內容。但是,東大生卻熟讀了。


具體的な內容に入る前に、「前提?背景」を調べるということだ。教授の話の中身や教科書の本文に入る前に、そこに至る以前の「上流」の部分を知ろうとするわけである。

在進入具體內容之前,先調查“前提、背景”。在進入教授的談話內容和教科書正文之前,應該先了解到之前的“上游”部分。

■東大生は、上流を見ることで本質に至る

■東大學生通過看上游來追尋本質


事実、1853年について調べてみると、ペリー來航の數カ月後に、ヨーロッパでクリミア戦爭が起きていることがわかる。
當時、日本を開國させたいと思っていた國は少なくなかったはずだ。そして、そんな狀況だからこそアメリカが、「ヨーロッパで緊張が高まっているいま(1853年)なら、他國に邪魔されずに日本を攻めることができるかもしれない」と考えたのではないかと推測することができるわけである。

事實上,調查了1853年,得知佩里來航的幾個月后,歐洲發生了克里米亞戰爭。
當時,想讓日本開國的國家應該不在少數。正是因為這種情況,美國才能夠推測出“在歐洲緊張度高漲的現在(1853年),也許可以不受其他國家的干擾而攻擊日本”。

そりゃあ、丸暗記すれば、一瞬で終わります?!?853年! ペリー來航!」と口に出して、語呂合わせをつくって、紙に書いて覚えるのは簡単です。
でも、それはクローゼットの中にとりあえず服を突っ込んでいるのと同じなのです。それではいざというときに記憶の中から取り出すことはできず、すぐになくして(忘れて)しまうのです。
そうならないためには、「急がば回れ」の理論で、僕らはきちんと物事の「原因」を探さないといけないのです。(47~48ページより)

如果死記硬背的話,一瞬間就結束了?!?853年!培里來航!”這樣諧音+寫在紙上就很容易記住。
但是,這和把衣服先塞進壁櫥里是一樣的。在緊急時刻無法從記憶中取出,很快就會丟失(忘記)。
為了不變成那樣,我們必須用“欲速則不達”的理論好好地尋找事物的“原因”。

物事には、単純な「原因と結果」では説明がつかない「背景」が存在しているということである。なんにせよ、物事をより深く理解し、重要な情報を引き出す「要約」を行うためには、「背景」を知ることが重要なのだ。

事物存在著單純靠“原因和結果”無法說明的“背景”。不管怎么說,為了進行能更深地理解事物,引出重要信息的“概要”,了解“背景”是很重要的。

■東大生がやっていることはとてもシンプル

■東大學生做的事情非常簡單

だが要約といっても、決して難しいものではないようだ。それどころか、東大生がやっていることは非常にシンプルなのだという。

說是概括內容,也絕非難事,不僅如此,東大學生做的事情反而還非常簡單。

?具體的な中身に入る前に、それに至る「流れ」を理解する
?その「流れ」の中で、具體的な中身がどのように位置づけられるかを考える
?この2つのプロセスの中で、重要なポイントを探し、ラインマーカーを引くようにその點を重點的に見て、覚え、まとめる(75~76ページより)
これこそが、東大生が要約をする際に行っているプロセス。しかし當然ながら、それは東大生だけにしか通用しないものではないはずだ。要約の習慣とスキルを身につけ、活用することは、ビジネスパーソンにとっても大きな意味があるはずなのである。

?在進入具體內容之前,要理解到其中的“流程”
?在“流程”中,具體的內容是如何定位的
?在這兩個過程中,尋找重要的要點,重點觀察、記憶、總結這些點,并畫線標記
這才是東大生在概括時進行的過程。但是當然,這并不只適用于東大學生。掌握并活用總結的習慣和技能,對于商務人士來說也應該有很大的意義。

そもそも『東大思考』というタイトル自體が大それているだけに、最初の段階で「自分には無理かもしれない」と感じる方もいらっしゃるかもしれない。正直にいえば私も最初は、どこかひとごととして捉えていた部分がある。
だが西岡氏が言うように、「頭がいい人」とそうでない人を分かつのは“ほんの少しの、小さな差”であることを本書は教えてくれる。別な表現を用いるなら、頭の使い方を少しだけ変えてみればいいのだ。

本來“東大學生的思考方式”這個標題本身就很龐大,可能有人在剛開始的階段就覺得“自己可能不行”。老實說,我最初也有一些地方把它當成很難的事情來看待。
但是正如西岡先生所說,本書告訴我們,區分“聰明人”和“普通人”的是“一點點的、微小的差別”。如果要用其他的表達方式的話,只需要稍微改變一下頭腦的使用方法就可以了。